身の回りある全部が愛でしかなかった理由
テル(*´Д`*)です。
すべては1つ、すべては愛と言葉では何となくわかってても、
腑に落ちない
状態が続いてた.°(ಗдಗ。)°.
で、今ふと視点が変わってたことに気づいた!
うちの市では粗大ごみを出すのにお金がかかるんで、シールを買わなきゃいけないんですが、
それも職員さんを守るもの、市を守るもの、地球を守るもの、大事にする為のものだって気づいた。
アスファルトがある道だってそう。
それは人を、車を、守るものだって気づいた。
食べ物も、傘も、服も、靴も、電柱も、テレビも、コップも何もかもが、
生きる為に守ってくれるもの
だと気がついた。
さらには、
自分以外があるから、自分だと気づかせてくれるもの
だとも気づいた。
落ち着いて考えてみれば、なんて事ないんだけども。
どうしても悪いものとか見えないものにだって、
こうした役割がちゃんとあるんだって気がついた。
これはデカイわ(´・∀・`)笑
守られてたんだ。生きていいって言ってくれてたんだ。
その1つ1つが循環して、回ってて、流れてて。
身の回りにすでに十分あるのに、それではダメだと思い込んで、違う何かを付け足そうとする。
そんな必要もなかった(´・∀・`)
ちゃんとあるから、後は気持ちに応えよう(*´Д`*)